
中村の自己紹介
スタッフより社長紹介
皆さんは代表とか社長とか聞くとネクタイしてスーツ着ているようなビジネスマンをご想像になるかと思いますが、
有限会社中村ワークスの社長の私、ナカムラは作業着、ニッカポッカでの毎日過ごしております。
ここ1年位前から現場での作業はほとんど出なくなり、別にニッカポッカをはいている必要がないと思うのですが・・・。
今はニッカポッカ、作業着といってもあまり汚れていない、どちらかと言うとキレイな服を着てますが、以前は職人で
現場に頻繁に出ていたときは、それはそれはひどいものでした。
作業服は汚れている。髪の毛はお構いなし。時々ニッカポッカのズボンのお尻にツギハギをして、また時には、それが
ほどけて、また破れている(笑)
社員に「社長なんだからもっとキレイな服着た方がいいんじゃない?」とまで言われたり(笑)
だからセールスの人が会社に来ても私に「社長様はお出かけでしょうか?」なんてしょっちゅう言われてました。
「私ですけど・・・」「すみません」
でも今でも全然社長っぽくなくて(笑)
今は事務所にいて打ち合わせをしたり、お見積りに行ったり、現場管理に来たり・・・。
中村元泰と書いてナカムラモトヒロと読む。
中村ワークスと書いて満足施工の会社と呼ばれる。
まず最初に会社を作って自営業を始めたのは・・・・。
これは全く持って不思議なんです。
自分でも自営業の夢とかましてや会社の社長になるとは全然思っておりませんでした。
別次元の偉い人の話と思っておりました。
「中村元泰の独立物語」
大阪の大学を卒業して地元の企業に就職した私は、その会社で旅行事業部に所属することが決まってました。
その会社に就職を決めたのは、どこでも就職できれば世間的にもいいかな?って軽いものでした。
私は取りあえず就職して、学生時代に短期留学したアメリカに再び留学したかったからです。
出来れば3年以上はいきたいと漠然と思っておりました。
学生時代の友人は次々と卒業後、留学していって私は羨ましくもあり嫉妬もしておりました。
そして、涙の卒業式(本当に泣いていた)の後、岐阜に本社多くSコンクリート工業へ研修。
その間も同期が70人近くいて、野球部が20人くらいいて、それはそれは涙の卒業式のことを
忘れることが出来ました。
そして2週間後、配属先が決まる中で「私は本社の旅行部」に決まっていたのですが、何を思ったか
突然、営業がしてみたいと思い、無理を言って、松本支店へ配属されました。
長野県に着くや否や、私は後悔しました。
「だれも知り合いいない」(涙)
小百合に大阪から来てもらおうかな?
(小百合と言うのは私の妻ですが、当時からの付き合いなのです。)
「大学に戻りたい」
って大人数の研修中にはあまり思わなかった感情があふれかえりました。涙の卒業式状態です。
「嫌だ嫌だ。辞めたい辞めたい」
そんな感じでした。今思えばなんと言うわがままで自分本位な人間でしょう。
松本支店に出社して「辞めたい辞めたい」などと思っている人間に上司は良い顔をしません。(当たり前ですが)。
今となっては理解できるのですが、当時は鬼のような上司が教育係りとなってしまいました。
その上司はSコンクリートでトップセールスという方でした。
泣きました。いっぱい泣かされました。
車でその上司を横に載せながら、ハンドルを握りながら、お説教で涙が止まりませんでした。
前が見えなくて、それでも運転してました。
学生時代、部活の上下関係で培われた私は4年の時などは、「4年生は天皇」というその風習の中でやりたい放題でした。特に武道系でしたので「上下関係」「礼儀」は厳しいものがありました。
(その話はまた別のところで)
その時に、私は留学したいという気持ちに逃げました。
留学したいからこの会社を辞めなくては・・・。
根性がないわけではない。武道で鍛えた精神。学生時代の厳しい上下関係。俺は根性がないわけではない。
アメリカに行きたいんだ。
友達みたいにみたいにアメリカへ行って英語を話せるようになって通訳かガイドになるんだ。
その時は本気でそう思っておりました。
でも回りの大人たちからは「辛抱が足りん」「情けない」「世の中はそんなものじゃない」って耳が
痛くなる話ばかりでした。
友達に出さえ「俺も何かとホンマしんどいし、頑張ろうや」って
この調子で書き進めると一冊の本が出来そうなので、掻い摘んで書きます。
その後一年でその会社をやめ、私はどこでもいいから留学のお金をためようと思い、
運送屋さんか何かをして資金にしようと思ってました。
岐阜で就職を捜しましたが、どこもかしこも「社員 30名」「社員50名」
「なんだ?小さい会社ばかりやん大丈夫かな?」
当時の私は、前の会社が1200名位いた会社だったので、従業員が100名以下の会社では働きたくない
と思っておりました。
ましてや、今の中村ワークスのような規模の会社はアウトオブ眼中でした。
でも不思議と世間の厳しさが分るんですね。
今では社員10名の会社が私の中で大きな会社という概念です。
20名とか30名なんていったら大企業です。
話は戻り、結局岐阜では良い会社がないので「名古屋」で就職を捜しました。
前述の通り、社員100名以上の会社を。
それが、この建築業界との「出会い」でした。
営業で入ったはいいものを、全然、売れない。
上司には「ダメなヤツ」というレッテルを張られ、完全に会社のお荷物でした。
そこでも私は留学に逃げてました。
この仕事は天職ではないし、一生やるわけでもないし・・。留学の資金のためだし・・・。
でも「ダメ社員」の私に、手を差し伸べてくれた上司が現れたのです。
当時の私は「営業」って悪い事をしているような錯覚でさえありました。
人にモノを売ると言うことは良いことではないかのような・・・。
若かったから、そんな訳の分からない感覚、価値観だったのでしょう。
でも上司は「お客様は、納得して契約して喜んでいるんだ」みたいな事を言ってくれ
また、実際に同行させて頂いた時に、お客様に喜んで工事をご依頼されていると言う
場面や実際の工事によってお客様が喜び、お役に立っているという事を見せてくれました。
その事がきっかけで、私は自分自身になにか吹っ切れた感じになり、上司も私に自信を植え付けさせてくれて
私は、若かったけど「得意顔」で毎日仕事に励み、いつか留学したいと言う気持ちも失せるようになっておりました。
その会社では全国規模の会社でしたが、中途入社、最年少25歳で主任になりました。
